『100歳リレー』 ~“為せば成る”ヘレン・ケラーとの出逢いが人生の礎となりました~
「100歳リレー」では、全国のホームで100歳を迎えられたご入居者さまお一人おひとりにスポットをあて、日々のいきいきとされたご様子など「その方らしさ」をありのままにお伝えしていきます。
今回は、サービス付き高齢者向け住宅 グレイプス辻堂西海岸に入居されている、
井窪 和子(いくぼ かずこ)さま(1922年12月生まれ:満100歳)
をご紹介します!
笑顔がとてもチャーミングです
◆井窪さまのこれまで
1922年12月、三菱重工に勤めていたお父さまの勤務地だった長崎県長崎市で生まれる。
16歳まで長崎市で過ごしたのち、お父さまの転勤で横浜へ引っ越し。
19歳の時に航空機会社勤務の旦那さまと結婚、4人の子供を授かる。
戦時中は、空襲により横浜から名古屋へ疎開。そして疎開を繰り返しながら岡山へ。
22歳になった1945年8月、広島に原爆が投下された”あの日の朝”は
”きのこ雲”を岡山から目撃する。
終戦後は横浜に戻り、そこから東京へ移住。戸建てを茅ヶ崎に購入したことで湘南に落ち着く。
「100年も経つと記憶も曖昧になりますね」と笑ってらっしゃいました。
◆グレイプス辻堂西海岸にご入居されたきっかけは
茅ヶ崎市内の自宅で最期を迎えるだろうと思っておりましたが、夫の他界後、藤沢市内に住む長男夫婦が独り暮らしの私を心配して、こちらのホームを探してきてくれたので入居を決めました。結果的に、楽しく気ままに過ごすことができています。
◆長寿の秘訣は何かありますか
秘訣かどうかはわかりませんが、あえて言うならば、多趣味で何にでも興味を持ってトライすることでしょうか。没頭していると、自分の年齢も年月の経過も忘れて、気が付けば100歳だったということになります(笑)。
あとは、食べ物ですね。朝はヨーグルトや、バナナなどのフルーツ類などナチュラルビタミン系が身体に良いというのが持論です。
◆多趣味とのことですが、具体的に教えてください
洋裁・和裁・革製品クラフト・造花クラフト・砂絵・絵画・俳句・染物etc手先を使う趣味活動が好きでした。”手先を使う”ことが”ボケない”秘訣かも(笑)。俳句は今でも続けています。
◆元気にしてくれるものはありますか
白寿の時に、長男のお嫁さんからいただいた家族(孫含む)の記念アルバム集が一番の宝物です。この中には自分が若いころに孫たちと過ごしたスナップ写真や記念写真が収めてあり、いわば私の人生の、軌跡のような一冊です。
眺めるたびに今までの人生を振り返り、なんだか明るい気持ちになります。
◆大切にしている想いは
14歳の時に、通っていた女学校の生徒代表として選出された2名のうちの一人として、当時初来日だったヘレン・ケラー(56歳)とその先導師だったサリバン先生(70歳)に直接お会いさせていただきました。
その時にヘレン・ケラーから「みなさんがこの先、生きていく中で、つらい事や悲しい事もあると思いますが、常に前向きに捉えて生きていけば最後は必ず幸せになれる」という言葉をいただきました。
この出来事が自分の人生の礎(いしずえ)となっていて、「為せば成る」を実践してきたことが、自分の中でずっと大切にしてきたことです。
◆最後に人生観をお聞かせください
広大無辺なこの宇宙全体の時間の流れから見れば、100年足らずの人間の一生はほんの一瞬の出来事だと思います。
それでも、その一瞬を楽しんで生きる事が大切。
戦争で亡くなられた方や病気で亡くなられた方など自分の意思に反して亡くなられた方々と比べれば、浮き沈みはあっても最期は笑ってインタビューを受けられるということはそれだけで幸せだと思います。
この先はのんびりと天寿に任せて、行けるところまで生きてみようと思っています。
「井窪さまはとてもお元気で、毎日食堂にお一人で歩いていらっしゃいますし、
杖をついて外出し、お買い物にも行かれ、大変活動的な方です。
年齢を聞かない限り、とても100歳には見えません。」と、荻原支配人。
これからも井窪さまが安心して笑顔で過ごせるよう、
グレイプス辻堂西海岸のスタッフ一同でサポートしていきます。
- こちらから、グレイプス辻堂西海岸の紹介動画をご覧いただけます。ぜひチェックしてみてください!